代表挨拶

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代表挨拶

GiveGrow代表取締役 川瀬智広

 

この度は、弊社Webサイトをご覧頂き、有難うございます。
私、川瀬は2012年3月より、ノリと勢いでカンボジアを訪れ、そのまま日本に帰らずカンボジアで働き出すという、

今考えても、あの時の自分の決断は「ただの変人」だったなと思います。
あの決断をきっかけに、私は様々な人たちに迷惑をかけました。

でも、得るものあれば失うものあり。あの日、あの時、私が感じた直感とワクワクは、

全てを捨ててでも飛びつきたいものであったのは事実です。
カンボジアは、それほど魅力とワクワクでいっぱいの国です。

しかし、日本のメディアが発信するカンボジアは、まだまだ現実とかけ離れています。
実際訪れてみないとわからない、カンボジアが持つ多くのギャップは、私たち日本人に多くの驚き、気づきを与えてくれます。

そんなカンボジアを、一人でも多くの日本人に知ってもらい、体感してもらい、シンプルに元気になってもらいたい。
「カンボジアから日本を元気に!」

何があろうと、僕は日本人です。日本を離れてこそ、日本への愛国心は日に日に高まるばかりです。
このままダメになってしまうと皆が思っている日本。でも私は日本の救世主になりたいと本気で思っています。
海外で働きながら大和魂をメラメラと燃やし、カンボジアをきっかけに、日本を日本人を明るくできる企業になるよう、
今後も精進して参ります。

 

 

GiveGrow Co.,Ltd.代表取締役 川瀬智広
メンバー
弊社の事業が Yahooに掲載されました。

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【川瀬紹介動画】

川瀬が掲載された記事(REAL ASIA様)

 

 

自己紹介

カンボジアの首都プノンペンに降り立ったのは、2012年3月15日

プノンペンのとあるホテルのロビーでの偶然の出会いから、即決でカンボジアで起業することを決めました。

帰るはずの日本に帰らず、4月1日からの転職先に、国際電話でお断りの電話をした男の生い立ちです。

 

【プロフィール】

ちゃっかり国立大学である宇都宮大学卒業後、

お笑いの道で天下取ろうと吉本興業NSC10期生として入学。

2年半夢を追うが諦め人生初めての挫折を味わう。

フリーターから大手企業に入社し、飲食店100店舗の企画リーダー、西日本責任者など、歴代最短の出世男になるが、このままサラリーマンで終わるのは嫌だと思い退社。

1年後独立する目的でベンチャー企業に内定頂くも、直感が働き、入社を一ヶ月ずらしてもらい、初めての海外一人旅に出る。バンコクの次に訪れたカンボジアで偶然の出会いがあり、日本に帰らずそのまま現地で働く。

転職先を断り、親にぶち切れられ、彼女とも別れる。それでも自分がここにいる意義を見つける。

 

【幼少期】

座薬を極端に嫌っており、ホームビデオで「お尻の注射はいややぁ!」

と泣き叫ぶ映像が残っている。

 

【小学校】

①小学3年から5年まで毎年学級委員長に推薦され続ける。

小学6年生の時は生徒会長に推薦され、選挙により生徒会長となる。

ちょうどそのときが小学校設立20周年であり、記念式典で、生徒全員とその親合わせ1000人以上の前で、生徒会長の言葉を発表。

それをビデオ撮影していた母親だが、感動して泣いていたからか、緊張して震えていたからか、再生するとグラグラに映像が揺れ、見れたもんじゃない。

②授業で、好きな食べ物を紙に書けと言われ、なぜかシイタケを書いた。シイタケはシイタケでも、カットされて三日月みたいにヒラヒラになった状態のシイタケの絵。

それを書いてから、異常にシイタケを意識し始め、逆にシイタケが大嫌いになる。半年ぐらいで治る。

 

【中学校】

数学の先生は生徒にいつもバカにされていて、授業そっちのけで「私語」をしている生徒が多かった。

そのとき、暇つぶしに僕が取っていた行動は、

「静かにしてくださーい!私語はやめて下さーい!」とか言っておきながら、

その直後に口を手で隠し横を向きながら、大きな声で「ザワザワ!ザワザワ!」と言い、バレないように周りの私語のボリュームをより拡大させていた。

なぜそんなバカなことをやっていたのか、わからない。

また、その先生はカツラ疑惑もあって、僕が作った紙飛行機を先生が黒板に向かっている隙に投げたら、

「サクッ」とした音と共に先生の頭に刺さった。

しかし先生は3分ぐらいそれに気づかず授業を続けた。

いまだに忘れない、その時はっきり聞いた音。「サクッ♪」

 

【高校】

部活に初めて本気で打ち込んだ。バレー部だった。

入学当初は166㎝しかなかった身長は、高校3年生の時には180㎝を超えていた。

部活後は決まっていつも学校近くのコンビニ前にたまっていた。

その時「小岩井コーヒー」がバレー部内で流行っていて、そんなに数が少ないため、早い者勝ちになる日もあった。

特に小岩井コーヒーが好きな僕の親友がいたのだが、

そいつは「塩」と呼ばれていた。(脇の下に塩の結晶を作っていた為)

僕は塩より早くコンビニに行き、残り一つ残っていた小岩井コーヒーを

隣の雪印コーヒーの奥に隠しておき、

塩が僕に「もう小岩井なかったわー」と残念そうにコンビニから出てきた後に、僕がコンビニに入り、隠しておいたそれを買い、塩の隣で美味しそうに小岩井を飲んでみせた。

 

【大学】

一人暮らしがしたく、学費の関係で国立大学なら親から許可が出た為、その為だけに勉強した。

大学の友達に「お前お笑いやってみたら?」と言われ、TVの世界に憧れがあり人を笑わせるのが好きだった為、大学一年の時に将来の夢をお笑い芸人に決めた。

中退を考えたが、卒業はするよう親に言われ、大学中は遊びに明け暮れた。工学部で研究室に入りながらも、友達のパソコンで卒論を終わらせた。

大学の面白ネタはありすぎるので省略

 

【吉本興業養成所入学 東京NSC】

NSC10期生として入る。

同期はオリエンタルラジオ、フルーツポンチ、はんにゃなど。

今まで、ある程度努力すれば何でもできると思っていた僕だったが、

上には上がいることを初めて痛感する。

NSC入学時代、コンビを組む。

胸に竜の入れ墨が入っている、昔ヤンチャしてた奴。

その当時、相方は群馬でホストをやっており、店ではNO.6だと言っていた。何人在籍いたんだよ。

養成所卒業後、1年半上を目指したが、25歳を前にして諦めた。

最後のライブに見に来てくれた両親だが、父親曰く、母親は会場で僕らの最後のネタを見ながら、「あの子はよく頑張った」と泣いていたそうだ。ライブ後、芸人友達の前ではやせ我慢で笑っていたが、その事実を聞いた時、こらえていた涙が一気に溢れ、止まらなかった。まだ日が落ちていない新宿で泣きながら帰った。

 

【㈱第一興商に就職】

芸人時代に働いていた飲食店があったが、そこの会社(第一興商)に美味しい話を持ちかけられ、就職することに決めた。

その飲食事業部に入った僕は、

アルバイト→一般社員→副店長→店長→全国新店立ち上げ係→エリアマネージャー→飲食100店舗の企画課リーダー→西日本統括マネジャー

と、異例の速さで出世させてもらった。

しかしいつしか自分で事業がやりたくなり、もっと過酷な事にチャレンジしたいと思い、会社を辞めることを決意。

 

【起業or転職】

いざ起業しようと思っても、なかなか何をするか決められなかった。

お笑いと飲食しか取り柄のない自分に不安を感じ、1年くらいベンチャー企業に転職し勉強するのがいいのかなと思い、人生初めての就職活動をした。ここまで自分自身を見直すいい機会になるとは思わなかった。

色々悩みながら、何社か内定を頂き、4月から働く1社を決めた。

しかし、

「とりあえずまずは転職するとか、お前逃げじゃねぇ!?独立するのビビッてんじゃねぇ!?」というもう一人の自分が激しく攻めてきて、

将来的に漠然とアジアで働く必要を感じていた僕は、転職先に入社する前の2週間を使い、初めての海外一人旅へと飛び立った。

「予習がてらに、先にアジアを見ておこう。」

それが1番の目的であった。

「そのままアジアに居座ってしまおうか」

というほんの少しの可能性を潜ませながら…

 

 

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